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仏様の指。

2025/1/24

今日は午後から英語検定の準会場受験が行われました。本校ではパワーイングリッシュプロジェクトの一環として、年間3回の準会場受験を行っています。在学中に全員が2級取得を目指して、上位級に挑戦しています。努力の成果が実り、多くの生徒が二次試験へ進めることを祈っています。

今日は私の教育観に大きな影響を与えてくれたお話を紹介したいと思います。それは大村はま先生のお言葉です。大村先生は長きに渡り中高の教壇に立ち、手作りの独創的な教材で子供たちの勉強への意欲を引き出した国語教師です。国語学者としても活躍され、戦後の国語教育の基礎を築かれた方です。その大村先生がある講演会で話されたお話で、私にとっては「教えること」の原点を教えていただいた話です。大村先生の恩師の言葉として紹介されていた以次のような話です。

 先生の前でかしこまって緊張している私に、先生は急に、「どうだ、大村さんは生徒に好かれているか」と、お尋ねになったのです。私は、はたと返事に困りました。好かれていると言えばどういうことになるか、好かれていないと言えばどういうことになるか。瞬間、子どものようにブルブル震えてしまいまして、やっと「嫌われてはいません」という変な返事をしました。先生は「そう遠慮しなくてもいい、きっと好かれているだろう。学校中に慕われているに違いない」と言って、お笑いになりました。私はどうしてよいか分かりませんので、下を向いてモジモジしていますと、先生が一つの話をしてくださったのです。
「仏さまがある時、道端に立っていらっしゃると、一人の男が荷物をいっぱい積んだ車を引いて通りかかった。そこは大変なぬかるみであった。車は、そのぬかるみにはまってしまって、男は懸命に引くけれども、車は動こうともしない。男は汗びっしょりになって苦しんでいる。いつまでたっても、どうしても車は抜けない。その時、仏様は、しばらく男の様子を見ていらしたが、ちょっと指でその車におふれになった。その瞬間、車はすっとぬかるみから抜けて、からからと男は引いていってしまった」という話です。「こういうのがほんとうの一級の教師なんだ。男は御仏の指の力にあずかったことを永遠に知らない。自分が努力して、ついに引き得たという自信と喜びとで、その車を引いていったのだ」こういう風におっしゃいました。そして、「生徒に慕われているということは、大変結構なことだ。しかし、まあいいところ、二流か三流だな」と言って、私の顔を見て、にっこりなさいました。私は考えさせられました。日が経つにつれ、年が経つにつれて、深い感動となりました。そうして、もし仏さまのお力によってその車が引きぬけたことを男が知ったら、男は仏さまにひざまずいて感謝したでしょう。けれども、それでは男の一人で生きていく力、生きぬく力は、何分の一かに減っただろうと思いました。仏様のお力によってそこを抜けることができたという喜びはありますけれども、それは幸福な思いではありますけれど、生涯一人で生きていくときの自信に満ちた、真の強さ、それには、はるかに及ばなかったろうと思う時、私は先生のおっしゃった意味が深く深く考えられるのです。
【大村はま講演集 <人と学力を育てるために 風濤社刊>より】

私も行き詰った時には、よくこの話を読み返します。そのたびに教師としての原点をもう一度思い出し、新たな気持ちになることができます。私も思い上がることなく、常に謙虚に「仏様の指」のような生き方ができるように努力していきたいと思います。

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