2024/11/30
今日は土曜日、今週も今日で終わりです。来週月曜日から期末考査が始まります。週末しっかりと試験勉強をして、準備万端で試験に挑んで欲しいと思います。また、3年生にとっては高校生活最後の定期考査です。大学入試とは違った意味での試験になりますが、高校時代の集大成とするべく試験に臨んで欲しいと思います。
今日、ある先生と「感性」について話をしました。生徒はもちろん、我々教員も一人ひとり感性が違います。その違いがその人の個性になるわけですから、異なる感性はあって然るべきものだと思います。今日、感性が話題に上がったのは、ほんのわずかな気遣いができるかどうかは、その人の感性によるものだというところからでした。教室で前から順番にプリントを配った時に1枚だけ足りなくなってしまった。その場面でどう行動するかは、その生徒の感性によるものだという話題で話をしていました。例えば、自分が後ろから2番目の席に座っていたとしたら…
①プリントをそのまま配り、最後の席の生徒が
1枚足りずに取りに行く。
②自分の分は取らずに最後の席の生徒に渡し、
自分が1枚取りに行く。
③自分の分は取らず、足りないことに気づい
た時に挙手をして先生に知らせる。
もしかしたら、もっと別のパターンがあるかもしれませんが、例えばの例で話をしました。
①~③までどれも間違いではないでしょうが、できれば②のような生徒であって欲しいな、とは思いました。
どのような判断をするかはその人の感性によるものだが、それは家庭での教育(しつけ)も少なからず影響しているのではないかという意見で一致しました。しかし、家庭教育にその責任をすべて押し付けてしまうのはおかしいわけで、我々教員ができることは、その場で感じたことを生徒たちに伝えていくことが重要なのだと思います。自分の感性に基づいて判断したり、行動すべきと思ったことをそのまま生徒に伝えることで、生徒の感性が磨かれていくのだと思います。時代とともに価値観も変わり、私たち自身の感性に基づく行動が模範解答であるかどうかは分かりませんが、感じたことを生徒に伝えていくことは、感性を磨くための一つの材料になると思っています。
感性を辞書で引くと、
①物事を心に深く感じ取る働き。感受性。
②外界からの刺激を受け止める感覚的能力。
と書かれています。「感性」=「感受性」ということを知って、感受性について書かれて詩を思い出しました。高校生の時に初めて読み、衝撃を受けた詩でした。詩人の茨木のり子さんによって書かれた詩です。
「自分の感受性くらい」 茨木のり子
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが、ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
最後の一文、「自分の感受性くらい 自分で守れ」を読んで、自分の感受性(感性)は自ら磨くものだということを改めて痛感しました。厳しい言葉で書かれた詩ですが、そこには愛と優しがあふれていることを感じます。私自身、改めて自分自身の価値観をふり返り、自分の感性をしっかりと磨き続けていきたいと思います。